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女優、米倉涼子さんが初めてのミュージカル「CHICAGO」の公開舞台げいこがありました。

「CHICAGO」は米倉涼子さんとともに元宝塚トップスターの女優、和央ようかさんと

歌手の河村隆一さんがトリプル主演をはるミュージカルです。

元宝塚和央ようかさんについて記載します。

和央ようかさんについて:ウィキペディア引用

・・・記事ここから・・・
東京都世田谷区で生まれるも、その後間もなくして大阪に移り住む。幼少のころから

クラシックバレエやピアノ等を習う。中学時代は走高跳の選手だった。帝塚山学院高等学校時代は

ミュージカル部で活躍。バレンタインデーに集ったチョコレートの量は母校の伝説となっている。

友人に誘われて宝塚歌劇に出会い受験を決意。1988年、宝塚音楽学校を卒業し、宝塚歌劇団に

74期生として入団。初舞台は『キス・ミー・ケイト』。同期に女優の麻乃佳世・森奈みはる・初風緑・

汐風幸・白城あやか(中山秀征夫人)・渚あき・元宙組組長の美郷真也らがいる。

同年5月10日、雪組に配属。恵まれた容姿と資質で早くからスター性に注目され、新人公演主演など

期待の新進男役スターとして成長し、1997年雪組2番手となる。

1998年、宙組の立ち上げメンバーに選ばれ、初代宙組主演男役姿月あさとに次ぐ2番手となる。

姿月退団後の2000年6月、全国ツアー公演『うたかたの恋/GLORIOUS!!』で主演男役に就任。

本拠地・宝塚大劇場でのお披露目公演は同年8月の『望郷は海を越えて』。

2001年、新人公演で抜擢された『ベルサイユのばら』に再び出会い、主役フェルゼンを華麗に演じた。

2002年、『鳳凰伝~カラフとトゥーランドット』に主演、同作は日本演劇協会賞を受賞。

同時上演のショー「ザ・ショーストッパー」ではダンサーとしての魅力もいかんなく発揮した。

2004年、第29回菊田一夫演劇賞で『BOXMAN』の演技に対し相手役の花總まりとともに演劇賞を受賞。

同年、『ファントム』では、宝塚初という異色の仮面の主人公ファントム(エリック)を豊かな声量と

繊細な芝居で魅力的に演じ、自身の当たり役とした。『風と共に去りぬ』ではレット・バトラーを豪快に演じた。

高い人気で名実共に宙組をリードしてきたが、2005年10月に退団を発表。

同年12月21日、シアター・ドラマシティ公演『W-WING』の上演中にフライングの装置が外れ、

2メートルの高さから転落。骨盤、ろっ骨骨折の重傷を負い、同公演とその後予定されていた

ディナーショーが中止になる。(歌劇団発表は全治1ヵ月であったが実際は全治に

3ヵ月以上はかかる大怪我だった)

退団公演『NEVER SAY GOODBYE―ある愛の軌跡―』への出演も心配されたが、

幸い無事に回復。同公演の東京公演千秋楽(2006年7月2日)をもって退団。

2007年1月、青山劇場で退団後初のコンサートとなる『YOKA WAO CONCERT』を開催。

構成・演出は小池修一郎。

同年8月のコンサート『NEW YOKA 2007 ~ROCKIN' Broadway~』(東京国際フォーラム・ホールA)では

『NEVER SAY GOODBYE―ある愛の軌跡―』の作曲家でもあるブロードウェイの

巨匠フランク・ワイルドホーンがオリジナルソングを2曲提供。

2007年12月22日に自身初となる主演映画『茶々 天涯の貴妃』が公開された。

2008年10~11月、シカゴ(ヴェルマ・ケリー役)で宝塚退団後初のミュージカル出演。

その他2009年2月「SUPER MONKEY-西遊記-」(日生劇場)への出演も決定している。


・・・記事ここまで・・・
和央ようかさんにはピッタリの舞台ですね。でも、話題は、初めてのミュージカルに

チャレンジした米倉涼子さんに集まっています。さすがモデル出身でバレエを

されていただけあって抜群のプロポーションですね。初めてのミュージカル頑張って下さい。

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photo by Stellarum
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